ピート・モンゴメリーさんは、娘夫婦とその2人の子供たちとオーストラリアで暮らしていたが、娘さんが運動ニューロン疾患と診断され、ニュージーランドに帰国し、家族で看病に専念した。
看護の甲斐なく6年後に娘さんが亡くなった後は、義理の息子家族とは袂を分かち、1人で生活する道を選ぶ。
「親ならば皆、我が子を救うためには何でもするでしょう。娘の病気を支えるために財産をつぎ込み、私は文字通り一文無しになりました。私は70代半ばで、年金はファカタネで家を借りる家賃には十分ではありません」
大工としての経験もあるモンゴメリーさんは、「では、自分で家を建てよう」と決心する。
ワイヌイに土地を持つエド・レイドさんが、モンゴメリーさんに自宅の敷地に家を建てるよう申し出る。レイドさんがこの土地を買ったとき、本物件はオポトゥキ・カウンセルの自治区内にあり、1敷地につき3件までは非商業用住居を建てることができた。
モンゴメリーさんは自分の住むタイニーハウスを粉骨砕身、細部まで丹念に注意を払って作り上げると共に、地主のレイドさんや近所の人々のためのちょっとした仕事も骨惜しみなく手伝うことで、コミュニティにとって重要な人となっていった。
ところがある日、カウンセルの計画課から訪問を受け、ワイヌイは現在ファカタネ・カウンセル自治区に移動したため、敷地に建てることのできる住宅は1件のみに限り、即刻立ち退くよう要請された。
「とにかく『出て行け』と言われるばかりで、『そのためにどのような支援が必要ですか?』という申し出はありません。私はどうすればいいですか?クルマで生活するのですか?」
モンゴメリーさんのこの訴えは、同様に市のきまりだからと、住んでいる住居を立ち退くよう要請された他の2人の訴えと共にファカタネ・カウンシルのコミュニティミーティングに集まった120人が共有した。
訴えを聞いたカウンセルスタッフは、ホームレスと住宅問題に関連する重要な案件と認識し、解決策を市のポリシーに織り込むよう動くと回答した。
